歴史あるフランス座(ふらんすざ)の名前でも有名な東洋館。正式名称は「浅草フランス座演芸場東洋館」です。
現在はいろもの(漫才、漫談など)を中心とした演芸場。建物を同じくする姉妹館・浅草演芸ホール(落語中心の寄席)とともに、歴史ある浅草お笑い文化の一角を担う存在と自負しています。「浅草フランス座」以来の伝統を受け継ぎつつ、新しい「お笑いの発信基地」でもある当劇場へのご来場を心よりお待ち申し上げております。
浅草観光の際には是非ご利用ください。
平成12(2000)年元旦に、「浅草東洋館」として生まれ変わった当劇場は、都内で唯一の「いろもの寄席」です。
「いろもの」とは、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、落語以外の演芸のことです。
当劇場では、一般社団法人漫才協会、一般社団法人東京演芸協会、(一社)ボーイズ・バラエティー協会を中心に、毎月定期公演を行っています。
「浅草東洋館」の歴史は、昭和26(1951)年に開業した「浅草フランス座」に始まります。ストリップ劇場であった浅草フランス座には、かの永井荷風も熱心に通っていました。気前の良い永井荷風は、踊り子たちに非常に人気があったといいます。
また、ストリップの合間にコントなどの軽演劇を上演していました。
これが評判になり、昭和34(1959)年に「東洋劇場」が生まれることになります。
ビートたけしとスタッフ
東洋劇場の舞台では、渥美清、長門勇、由利徹、東八郎などがコメディを演じ、人気を博しました。
また、東洋劇場のオープンとともに、浅草フランス座がビルの4 階と5 階に移動しました。同時にエレベーターが設置されたのですが、後にエレベーターボーイとして雇われるのがビートたけしなのです。
浅草フランス座楽屋 エノケン来館
昭和39(1964)年、浅草フランス座はいったん看板を下ろし、1 階が東洋劇場、4 階と5 階が浅草演芸ホールという体制がしばらく続きます。
そして、昭和46(1971)年に、東洋劇場が閉館すると、浅草フランス座が再度オープンすることになります。
現在の外観
“いろもの専⾨劇場”の浅草東洋館です。
その後、浅草フランス座は昭和57(1982)年に再び閉館。昭和62(1987)年に三度オープンするも、平成11(1999)年に惜しまれつつ閉館しました。
浅草フランス座を改装し、浅草東洋館としてオープンしたのは平成12(2000)年の元旦のことです。
以来、落語を中心とした浅草演芸ホールと、いろもの専門劇場の浅草東洋館の二人三脚で365 日休むことなく、公演を行っているのです。
東京スカイツリーが近くに完成し、観光地として賑わう街“浅草”。
様々な世代のお客様にお楽しみいただける番組を提供していきます。